地域のお医者さん アベ内科クリニック 総合内科

院内誌「うるおい」

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第78号 孤独?  (2022年・春)

第65号

 2020年に新型コロナ感染が始まり未だに収束を見ない昨今、さらに予想だにしなかった大規模な戦争まで起きて、我々は未曾有の体験の中にいます。尤も、我々の人生とは予期せぬことが起きることと言ってもよいのですが。

 コロナ感染を極度に心配される方、ワクチン予防接種さえ不安な方、何事も起きなかった一日にホッとされる方、自分が病気になるとは思ってもみなかったとか、さらにはこの混乱の世界で孤独感にさいなまれそうになる我々です。

 この虚構の世界に嵌まることは苦しいことです。しかし、この孤独を体験することでしか得られないことは多くあると思うのです。今までの何でもありで一日が何気なく終わっていたが、社会に依存せずに自分で自分を見る力、すなわち「俯瞰」する能力を養うチャンスかもしれません。今までしなかった、できなかった読書とか、ほんの小さな旅行とか音楽や自然に親しむことによって、生きる嬉しさとか勇気とか良質な充足を見いだすことができるかも知れないのです。そして一日一日を丁寧に過ごすことが苦しみから脱却する唯一の方法と思いたいのです。


第77号 医療改革  (2021年・秋)

第65号

 コロナパンデミックにより日本の医療の脆弱と貧困が問われている。そこで、日本の医療はこうあって欲しいという点を考えてみた。

 一つは、医師資格に至る教育制度を変えること。センター試験を廃止して大学院制度とする。法律にて「へき地」勤務を義務化する。二つ目は大学病院と一般病院と家庭医の役割を明確にすること。三つ目は、医療管理を狭い県単位から、例えば道州制の導入にする。四つ目は、現在の出来高払いを修正すること。五つ目は、非常事態に応じた救急体制の構築である。センター試験の廃止:1979年から実施されている共通一次試験のための諮問委員会会長は、私が神戸中央市民病院のフェローだった時の院長、岡○道○雄氏であった。

 彼は、のちに「我が人生で唯一悔やむことがあるとするなら、それは共通一次試験の導入である」と語ったという。のちにセンター試験に変わるが、これによって各大学は偏差値によって順位がつけられ、各大学の個性はなくなった。この偏差値は、高校の進学方針が、医学部合格数となり優越意識・格差社会を生んでいる。

 医療機関は高価な医療機器を導入し、その支払いは過剰な検査を生み、これが医療費を高くしている原因の一つでもある。


第76号 新型コロナワクチン接種  (2021年・春)

第65号

 このウイルスのパンデミックな脅威は、我々に多くの試練を与えています。この未曽有の体験は人間の生活・行動を見直すチャンスかもしれません。

 第二次世界大戦時の苦しい生活を知る人が少なくなった現在、この不自由さを忌み嫌うよりは、今までの「何でもあり」の生活が、いかに歪であったか、いかに幻想的・幻惑的であったかを我々に知らしめているように見えます。今までの楽しみから、本当の幸福とは何かを探る良き機会かもしれませんね。

 コロナと闘うにはあまりに策がないですよね。コロナという世界共通の土俵に立った時、日本がいかに非力であるか、皆さんも思い知ったはずです。外国より感染者や死者が少ないのは行政の良さでも、優れたと思い込んでいる医学でもなく、我々日本国民の清潔を大切にする古来からの伝統的習慣が優れているからに他なりません。

 後手後手ではあっても我々は自分の身を守るために、他の先進国では終わりつつあるワクチン接種がやっと始まります。これから数年は続くであろう感染症に対し、当院は「デンマーク製マイナス80℃のスーパーフリーザー」で対応します。

 ワクチンを無駄にしないこと、ワクチン送付を何度も依頼する煩雑さがなくなり、管理がしやすい。通常なら五日間しか保たないが、超低温冷凍庫があれば半年以上も当院で保管し、自由に接種できることが大きなメリットと考えたからです。

 これによって本来の診療に影響をおよぼすことが極めて少なくなります。

第75号 発熱した時にどうするか  (2021年・冬)

第65号

 この冬はインフルエンザとコロナとが混在して発生する可能性があり、発熱したときの当院の対処をお知らせします。

 まず、発熱した場合に当院では院内に入ることはできません。それは、その発熱がコロナによるとしたら、当院のスタッフのみならず、待合室におられる患者さん全員が危険にさらされるからです。これはとても重要な点であり、大阪でも不用意にPCR検査をしたがために医師が二人死亡しています。

 発熱があれば、まずは当院に自宅あるいは車内から電話をしてください。玄関外に「待期用のビニールハウス」も用意されていて暖房も入っています。他人に迷惑をかけずに治療を受けることが可能です。スタッフ、次に私が電話にて問診を致します。その上で治療方針を立てます。それが扁桃腺や気管支炎であろうとインフルエンザであろうと、仮にコロナであろうとも、対処すべくお薬を三日分だけ処方します。自宅にいるまま、車内にいるままでよいです。当院と薬局が連携して対処いたします。

 但し、発熱後三日間だけは自宅待機され仕事に行くことは自制しましょう。毎朝、医師より電話をさせて戴き、その後のことは当院にお任せ下さい。

 小生の独自考案した対策法と処方内容は、兵庫南部のある医師会の総意と全く同じだったと聞いております。

第74号 コロナ時代を生きる  (2020年・秋)

第65号

 今、この原稿を書いている時でさえ、朝来市にコロナ患者が発生したくらいだから、お盆明けの二週間以降である九月にはもっと身近な存在になっているかも知れない。これだけ人間が地球規模で共通の問題に直面することは歴史上まれなことである。

 しかし、どんな時代であろうと我々はいずれ困難を克服し、再び明るい世界がやってくると信じよう。いや、それにもかかわらず「現在、今」を幸せに過ごすことはできるはずだ。コロナによって我々の生活様式は大きく変わりつつあるが、嘗ての時代ではなくなる覚悟は必要である。それでも身近で質素な日常生活の中に幸せを見いだす訓練をするにはよいチャンスかもしれない。

 我々は自分自身や身近な存在を忘れて外の世界や自分を飾るもので満足しようと思いがちであるが、「今、ここ」におらざると得ないし、ほんの小さなことに生きがいとか幸せを見いだすしか方法はない。何もなくても我々の存在そのものが至福であることを、この現状は教えてくれているかも知れない。

第73号 検査結果のメール送信について  (2020年・春)

第65号

 以前より当院独自の構築による検査結果送信サービスをしておりましたが、今年二月には長年使用していたパソコンに重大な問題が生じて、送信ができなくなりご迷惑をおかけしました。現在は新しいパソコンで患者様の送信ファイルを作り直し問題ありません。しかし、送信できなかったため八百枚を超える膨大な検査データが送信不可能となりました。今後も、パソコンだけの問題だけでなく、出張が続いた時や他の仕事が入ってしまいますと、同じように膨大な検査データが送信不可能となります。

 そこで、今後は次のようにさせて戴きたく存じます。まず大前提として、従来より検査データは私が全て確認し、問題のある場合は結果用紙にチェックとかメモをして次の診察時の治療の方向性を決めております。検査結果が前回診察時とは異なる場合、悪化しても改善しても送信致します。次回診察までの参考にしてください。

 緊急を要するデータを確認した場合は、メールないし電話にて次回診察を待たずに来院して戴くようご連絡いたします。検査結果に新しい問題がない場合は、原則として送信はしないことにします。しかし、メールを心待ちにされている方もおられますし、定期外の検査をした場合や新患検査は私の判断で送信いたします。

 どうかご理解ご協力くださいますよう、宜しくお願い申し上げます。

第72号 思い込み  (2020年・冬)

第69号

 『人は意味づけの世界に生きている(アドラー)』

 この表現が難しいなら「人は思い込みで世界を解釈している」と言い換えてもよい。我々はこの世界を観ているようで観ていない。判っているようで判っていない。私たちは何らかの信念体系から社会を判断している。その信念を作っているのは、生まれた家庭の価値観・地域の風習・教育・仲間・風土・国家などです。

 これらをまとめて「メガネのレンズと色」と例えてみる。そのメガネを通すと、他人のメガネとは全く異なって社会が見える。ただし、誰も自分がメガネをかけていることに気づいてはいません。誰もが独特の「意味づけ」をして社会・世界・人間・歴史を判断している。おまけに、そこに善悪・賛否・是非・実虚・有無などの価値観を見いだす。その根拠は極めて薄く、信じているのは自分自身しかいない。かつ、自分自身の信念体系さえ判っていないのです。

 患者さんが独自の「意味づけ」をされて生活に支障を来していれば、別の「意味づけ」に変えてみるとよい。しかし、支障はあるが自分の「意味づけ」は正しいと思ってしまうと何も変わることはない。変わるかどうかは「縁」も関係する。

 我々は病気を忌み嫌うが、それも意味づけなのであり、それを自分の生活スタイルを変えて健康に生きるチャンスと意味づけることもできます。もっとも、私自身がどういうメガネをかけているかは、自分自身にも判らない、ということは付け加えておかなきゃ。
 

第71号 クスリの多剤処方  (2019年・秋)

第65号

 クスリは飲まないに越したことはありませんが、他方でクスリがあるからこそ命に問題を起こさずに生きられることも事実です。それよりも、一人の患者さんに対してクスリの量が多すぎるのではと思うことがあります。私自身も処方していますから私の課題でもあります。

 問題は、他の医療機関や各科での処方を合わせてみると多剤になるだけでなく、時に重複していたり相互作用があったり、効果さえ疑問と思うことが多々あるのです。私でさえ「クスリ漬け」と言われることがまれにありますが、私はそんな意図など全くないが故に、極端に減量します。元来、患者さん自身にも改善する責任があるのですから、自己責任とお伝えします。しかし、ご本人に任せて良くなった例は極めて極めて少ないのが実情です。自分の習慣は変えたくないのでしょう。

 さて、患者さんの主たる担当医は誰なのか考えてみましょう。人間の体は一つであり臓器の集まりではありません。各々の部分が相互に関係し合って全体を構成しています(全体論)。ですから、薬も体全体を常に念頭に置きながら処方・内服する必要があります。このことは患者さんだけでなく、医師でさえ意識していないことが多いことに驚きます。どの医療機関も薬を出したがる日本の負の面があります。それを統合するのは「かかりつけ医」なのでしょうが、そもそも「かかりつけ医」「家庭医」という概念そのものが日本人にないばかりか、医師でさえ教育を受けていません。

 もっと患者さん個人のために医療を統合する必要があるのです。患者さんも医師も薬局も含めて有機的に患者さんにかかわることが今後の大きな課題ですね。